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2022.10.21

育児体験談・インタビュー

「東大合格は亡き母の願い。それを知り、遊ぶのをやめて猛勉強しました」松丸亮吾さんが語る幼少期のこと、家族のこと

「振り返ってみると、子ども時代の経験すべてがいまの仕事につながっています」と語る謎解きクリエイターの松丸亮吾さん。松丸さんはどのような環境で育ち、なぜ東大を目指すようになったのでしょうか。幼少期の過ごし方から家族の思い出、忘れられないおふくろの味まで、松丸さんにたっぷり語っていただきました。

「ごはん」「遊び」「運動」小さいころの経験すべてが現在の仕事につながっています

編集部 松丸さんは幼少期、どんな子どもでしたか?

松丸 松丸兄弟の末っ子として生まれた僕は、兄たちへのあこがれが強い反面、兄たちのできないことを探すのが好きで、親に言わせると、4人の中でいちばんの負けず嫌いだったそうです。

兄たちへのライバル心は半端なく、小学生のときに「東大に行く!」と宣言。そして中学受験をして第一志望の学校に入ったものの、塾に行かず、ゲームセンターに通う日々。成績は下から数えたほうが早いほどでした。

そんな僕が東大に合格できたのは、高校時代に亡くなった母の日記に「亮吾が東大に受かるところが見てみたい」と書かれていたから。そこから奮起して東大合格を目指して猛勉強を始めました。

そんな母親との思い出はたくさんありますが、いちばんは「食」ですね。振り返ってみると、子ども時代の経験すべてがいまの仕事につながっています。

母親の作ってくれたシチューが忘れられない。おいしかった

編集部 お父さまと兄弟が語り合ったご著書『松丸家の育て方』を興味深く拝読しました。男ばかり4人兄弟の生活は、にぎやかで楽しそうですね。最初に食事の思い出から、聞かせていただけますか。

松丸 食事はいつも母の手料理で、具材選びや調理方法など、仕込みにもこだわってくれていたようでした。本のなかにもありますが、おやつのピザは小麦粉をのばして作っていましたし、餃子も皮から作っていました。

ふだんは大皿料理で、一つの皿からみんながとって食べるスタイルです。メインに肉や魚があって、野菜があって、ごはんは自分でよそう。みそ汁もありましたね。それぞれに好きなものと嫌いなものがあるので、ふだんは譲り合うけれど、おすしはみんなが好きなので、戦いが起きるんです。

トロが人数分なかったら、じゃんけんで勝った人が食べられるとか。でも僕はじゃんけんが弱かったので、じゃんけんはいやだと言っているうちに、誰かに食べられたりして(笑)。

編集部 男同士の争奪戦、はげしそうです!ご著書のなかでは、結婚前、お父さまがお母さまのアパートに初めて招待されたときに、手作りハンバーグをふるまわれて、そのおいしさにがっちり胃袋をつかまれた、というエピソードが出てきます。お母さまは、お料理がおじょうずだったんですね。ちなみにお母さまの手料理で好きだったものは何ですか?

松丸 どれも絶品でしたが、特にシチューは、忘れられないおふくろの味です。めちゃくちゃおいしかったんです。スペアリブがやわらかく煮込んであって、じゃがいもはトロトロ。じゃがいもは歯ごたえが残っていて、まわりはトロトロという状態が僕は好きなんですが、まさに僕好みでした。シチューも、それぞれが自分でよそうんですが、残り少なくなると争奪戦になっていました。

それから、から揚げもおいしかった。カラッと揚がっていて、ジューシーで、いくつでも食べられました。松丸家では不動の人気でした。

編集部 食卓は、いつもみんなで囲んでいたんですね。

松丸 そうですね。母が料理を作っている台所のカウンターから、リビングが見えるんですよ。いつも兄弟がそろってリビングの机で宿題や勉強をしていて、ごはんができたら、母が「テーブルをあけて」と言って、勉強道具を片づける。いつもあたたかくて、できたての料理を食べていました。

いま、自分が大人になって、料理を作る時間がとれないので、母親ってすごいなと思いますね。

編集部 反対に、苦手なものは何でしたか?

松丸 好き嫌いは、あんまりなかったかな。お兄ちゃんたちが食べているのを見て、自分も負けたくないから、パクパク食べていました。でも小さいころにシシトウを食べて、あまりの辛さにめちゃくちゃ泣いた記憶があります。いまもシシトウの天ぷらなんかが出てくると、いけるかな、大丈夫かなって、覚悟を決めて食べています(笑)。

卵かけのりごはんがいつでも食べられるようにごはんが炊いてあった

編集部 それにしても男の4人のごはんを作るのは、なかなかたいへんそうです。

松丸 そうですよね。みんな育ち盛りだから、ごはんは1回に6~7合炊いていました。みんながおかわりするから、炊いても炊いても足りない。いつでも卵かけのりごはんが食べられるように、卵とのりがストックされて、ごはんも常に炊かれた状態でした。

勉強して、おなかがすいたら、炊飯器を開けて、ごはんをよそって、卵とのりをかけて食べる。うちは間食が、卵かけのりごはんだったんです。

編集部 おやつが卵かけのりごはん!買い物も、すごい量でしょうね。

松丸 食材は、生協でほとんど調達していたと思います。自宅にトラックが来て、近くに住む人たちが集まって、それぞれが注文した食材を分けていました。生協の食材で思い出に残っているのは、アイスクリームです。

棒アイスがいっぱい入った商品が買ってあって、この問題集ができたら1本とか、勉強を3時間したら1本とか、勉強のごほうびに、よく食べていました。アイスはチョコ味よりも、バニラ味が好みでした。

編集部 アイスクリームが、勉強のごほうびだったんですね。

松丸 うちの母親は、そういうルールづくりがうまかった。子どもが大好きなアイスクリームをただあげるんじゃなく、がんばったらあげる。だから僕は、がんばったら欲しいものがもらえるということが、小さいときからしみついていましたし、だから何事もがんばろうってなりました。それは、すごくよかったと思いますね。

編集部 それにしても、そんなに子どもがごはんを食べていたら、食器を洗ったり、片づけたりというのもたいへんな作業ですが、手伝っていたんですか?

松丸 いや、恥ずかしながら全然…。作る量もすごいし、鍋も皿もめちゃくちゃでかいし、洗うのもたいへんそうだなって見ていただけでした。三番目の兄は手伝っていましたが、僕は全く手伝わなかった。だから一人暮らしを始めたときに、すごく苦労しました。ちゃんと家事を手伝っていれば、いろいろすぐにできるようになったのに。

編集部 ちなみに食器は、どんなものを使っていたのでしょうか。

松丸 母は、ちょっとおしゃれなカントリー調のものが好きで、お皿もピーターラビットの絵柄がついたものをよく使っていましたね。家じゅうに手作りのパッチワークが貼ってあったり、クラフトのバッグやかごに小物が入っていたり、あたたかみのあるものが多かったですね。真っ白な無機質なプラスチックというものは、あまりなかったかな。

子どもの可能性を伸ばすなら「選別」より「拡張」

幼稚園時代にやたら興味を示したのは兄の「計算カード」

編集部 次に遊びについて教えてください。幼少期はどんな遊びが好きでしたか。

松丸 いちばん覚えているのは「計算カード」です。とにかくお兄ちゃんたちへのあこがれが強かったので、その関心のきっかけも兄弟関係から生まれることが多く、計算カードもその一つ。お兄ちゃんの誰かが使っていたものだったと思います。

計算カードというのは、表に「2+3」と書いてあって、裏をめくったら「5」と答えが書いてある単語帳のようなもの。そのころの僕は数字の意味も計算方法もわからないけれど、めくっているうちに全部覚えて、「2+3」と出たら「5」とわかるようになっていたみたいです。

幼稚園のころですね。親はそれを見て、この子は算数が得意かもしれないって、数字の本やパズルを与えたんです。

編集部 現在のお仕事のルーツは、そこにあるんですね!

松丸 うちの親は、家にとりあえずいろいろなものを置いておき、何かのきっかけで子どもがさわったりハマったりしたら、そこから伸ばしてあげるという教育方針でした。
▲「ミニカーで遊ぶ、幼稚園のころの僕。市販のおもちゃをアレンジして、新しい遊び方をつくるのが好きでした」

親って、これを習わせないといけないとか、これを与えたほうがいいとか、選んで子どもに渡してしまいがちですが、そういう義務感が出るともったいない。子どもが自由に自分の世界を広げようとしているときに、どうやってそれを拡張してあげられるか、「選別」よりも「拡張」のほうが大事だと思うんです。

編集部 選別よりも拡張⁉ご両親はまさにそれを実践されていたんですね。

松丸 そうなんです。一番上の兄は本を読むのが好きで、読書にハマっていましたが、僕は読書が苦手で、本は読まなかった。かわりに計算カードという変なものに興味を持ったんです。

家には本や楽器、望遠鏡など、いろいろあったのに、お兄ちゃんの持っていた計算カードにとても興味を示したんです。そこから親が算数の本やパズルを与えてくれたのが、実際に役に立った。実は中学受験の入試では、算数が満点だったんです!

編集部 すごいですね!

松丸 でも社会が苦手すぎて、平均点の半分ぐらいしかとれなかった。算数でカバーできたから受かったんですね。算数で点をとれたのは、幼少期に親から算数の本やパズルを与えられて、どんどん好きになっていったからです。算数をやりなさいって渡されたわけではなくて、自分が好きだったからやっていただけ。

謎解きの問題も、小学校4年生ぐらいからつくり始めたんです。問題をずっとつくっている僕を見て、そんなことよりこっちの勉強をしなさいという親だったら、僕はいまの夢をあきらめていたかもしれません。

将来の役に立つかどうかわからないけれど、うちの親は僕のつくった問題を「おもしろいね」「よくこんなのつくれるね」と楽しんでくれたのがうれしかった。そうやって自分の興味のあることをきわめていったら、受験もうまくいったし、いまの仕事にもつながっていったんです。

だから子どもの好きなことを好きなだけやらせたら、きっといいことがある。夢中になっている子どもの邪魔を絶対にしない親は、素敵な親だと思います。

好きで楽しいからいつの間にか子どもはできるようになる

編集部 子どもは、親にやらされるよりも、自分の興味があることをするほうが伸びる、というわけですね。

松丸 そうそう、そういうときの子どもの伸び方は、大人が思っている以上に早いです。むずかしい漢字を読めるようになりたいという子はけっこう多くて、メディアにも「全国のむずかしい駅名を全部読めます」という子が出てきますよね。それって大人が、がんばって覚えようとしても、たぶん無理なんです。

子どもは好きで楽しいからやり続けて、いつの間にか覚えている。親が強制して出る力ではないんです。だから親は子どもがレールをはずれそうになったり、明らかに人道的や身体的によくなかったり、というときにはカバーしてあげることは大事ですが、親がこれをやらせないといけない、やったほうがいい、みたいに考えるのは、たぶん実を結ばない。むしろ、効率が悪くなってしまう。

編集部 親が、いくら強制してもムダということですね…。

松丸 僕は、小学生のときに、スイミングをやめたんです。兄たちがスイミングをしていたので、僕もスイミングスクールに通っていましたが、人よりも泳ぐのが遅すぎて、あるとき先生に「おまえが泳いでいる間に二人泳げる」って言われたのがカチンときて、「先生の教え方が悪いんだ」と捨てぜりふを吐いてやめたんです。3ヶ月月ぐらいしか続かなかった。

でも親がスイミングスクールに通わせたのは、子どもに運動をしてほしかっただけ。だから運動だったらなんでもいいね、ということになって、いろいろな運動の体験に行かせもらったら、テニスにめちゃくちゃハマって、そこからずっとテニスをやりました。

中学校の部活もテニスでした。だから、スイミングだけではなく、スポーツをいろいろ体験させて、ハマったものをやらせてあげたらいいと思います。

編集部 やはり親が選ばないことが大切ですね。

松丸 音楽もそうです。僕はピアノには興味がなくて、ギターにハマりました。音楽的センスを身につけさせたいというのも、ピアノでなくても楽器には種類があるので、子どもにいろいろ試させて、いちばんハマったものを続けさせてあげればいい。それこそが拡張。選ぶのは子ども、それを広げるのは親ということです。

僕の成績が悪くても母親は絶対に僕のせいにしなかった

編集部 松丸家には「子育てのはひふへほ」があると、本に書いてありました。【「は」励ます 「ひ」引き出す 「ふ」奮発させる 「へ」へこたれない 「ほ」ほめる】。松丸さんは覚えていますか?

松丸 はい、よく覚えています。冷蔵庫の扉に家族の予定が書かれたカレンダーが貼ってあったのですが、それといっしょにマグネットで貼ってありました。小さいころからずっと見ていたので、いまも覚えています。うちの両親は、まさにこれを実践していました。

特に母親のことで印象に残っているのは、僕の成績が悪くても、絶対に僕のせいにしなかったこと。よく外で「うちの子は本当に勉強ができなくて」というお母さんがいますが、うちの母親は絶対に言わなかった。「小学生の子に勉強させられないのは、システムづくりができていない自分のせいだ」って自分を責めていたんです。

編集部 立派なお母さんですね。どうして、そう思ったのでしょうね。

松丸 たぶん上3人を育てたうえで、そう考えたと思うんです。ポジティブにとらえると、子どもの能力を信じているから、子どものせいじゃないと。ネガティブにとらえると、母親自身が言いわけしたくなかったのかなって。

僕は中学・高校時代、塾に行きたくないからサボって、ゲームセンター通いして、成績がすごく下がったんですね。そうしたら母に「私の教え方がよくなかった」って、すごく泣かれたんです。いや、どう考えても僕のせいだし、母にそう思われるのもつらいし、ちゃんとやろうって、あるときから切り替わったんですよね。

あのとき、どうして塾に行かないのとか、そんなことじゃ成績が上がらないよとか、責められていたら、もっといやになっていただろうなと…。それはいま思っても、子どもに響く教育だったと思います。まず自分の努力を疑っている母親を見ると、子どもはもっと気持ちにこたえてあげたいと申しわけなく思うんです。

そして母がそう思ったきっかけが「はひふへほ」だったのかな。それが足りていないから、うまくいかないんだと思っていたんじゃないかと思います。

たいへんに考えすぎず子育てを楽しんでほしい

編集部 最後に、子育て中のママやパパにメッセージをお願いします。

松丸 僕自身は結婚もしていませんし、子どももいませんが、いろいろな教育者とお話しさせてもらうと、共通しておっしゃるのが、「教育をたいへんに考えすぎる」ということです。

親は子どもに何かを教えなきゃいけない、自分が超人にならなきゃいけない、と思うから子育てがつらくなってしまうと思うんです。そうでなくて、いっしょに学んでいくとか、いっしょに成長していくという考えだといいと思います。大人と子どもという縦の関係でなくて、いっしょに生きるパートナーという横の関係。そうすれば親子の関係も対等で話しやすい。

僕が親に感謝しているのは、親が子どもに対してマウントをとらなかったことです。僕は「子どもだからわからないだろう」と言われるのが、たまらなくいやだった。でも、うちの父親は、いっしょにボウリングをしても全く手加減しない。子ども相手に本気で戦ってくるし、子どもに対してよくできたねとおだてることもなかった。

いい意味で友だちぐらいの関係性で、「俺が全部教えてやる」という感じではなかったんですよ。だから、なんでも相談しやすくて、それはすごくよかった。

だからBaby-moの読者さんやBaby-moWEBユーザーのみなさんも、私が全部教えなきゃとか、私がミスったら子どもに悪い影響が…とか、そんなに背負わなくていいから、お子さんと過ごす時間を楽しんでほしいと思います。

松丸さんに質問!幼少期や将来のことについて

「勉強しなさい」って言われなかった?

僕はゲームが好きすぎて、全く勉強しませんでしたが、親は「勉強しなさい」とは言いませんでした。そのかわり「3時間勉強したらゲームしていいよ」って、ゲームをうまく利用して勉強させる方法を考えたんです。結局、僕は早起きして勉強するようになりました。

10代のころに反抗期はあった?

反抗期はひどかったです。高校時代は学校が終わったら塾にも行かず、ゲームセンターへ。22時の閉店までいて、家に帰ってもごはんは食べない。親がいなくても僕は生きていけると証明したかった…。いつか気づくだろうとがまんしてくれた親には感謝です。

出産祝いをあげるなら?

つい最近、二番目の兄に女の子が生まれたので、ピカチュウのスタイがついた洋服とポケモンの積み木を出産祝いに贈りました。小さいころにポケモンで遊ぶと、物覚えがよくなるらしいですね。僕にも子どもが生まれたら、ポケモンにはすごくお世話になりそう(笑)。

赤ちゃんができたらどんな親になりたい?

子ども時代、父親が多趣味で遊んでくれないことに不満を持っていました。でもいまになってみると、好きなことをして、夢を追いかけていて楽しそう。だから僕は自分が親になったら、適度に夢を追いかけながら、ちゃんと子育てもしようかなと思っています。松丸亮吾1995年生まれ。麻布中学・高校から東京大学に入学後、謎解き制作サークルの2代目代表を経て、現在はRIDDLER株式会社代表取締役。イベント、放送、ゲーム、書籍、教育など、さまざまな分野で“謎解き”ブームを巻き起こす。「東大ナゾトレ」シリーズのほか、父の悟氏との共著『松丸家の育て方』など著書多数。
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取材・文/池田純子 『Baby-mo(ベビモ)2022秋冬』の内容をウェブ掲載のため再編集しています。※情報は掲載時のものです

Baby-mo〈ベビモ〉編集部

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