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2023.03.12

ママパパの生活

うさぎの耳〈第六話〉にんじんのパペット|谷村志穂

photo by Nakamura Akio

隣駅の手芸店で少しずつ買い足しているのは、ハマナカ毛糸のピッコロという毛糸玉だ。

アクリル毛糸でごわっとした感触があり、セーターやマフラーにするには硬すぎるが、パペットにすると、しっくりくる。

糸は店員さんによると、全部で53色もあるのだそうだが、どれもアクリル糸独特の、ちょっと人工的な感じの色合いだ。これも衣類にするには馴染まないが、パペットだと個性的な愛らしさが出てくる。

鮮やかな緑やピンクは、莉子も、よく使う色。他には、水色やオレンジ、卵の黄身のような黄色や、チョコレート色もある。

鮮やかすぎる色たちには違いないが、理玖と住む部屋の所々に、これらのアクリル毛糸がころん、ころんと並び、窓辺に完成したパペットも増えていき、仮住まいだったこの部屋に、温もりが宿った。

編み方にも、だいぶ慣れてきた。はじめは、左手の人差し指にピッコロ毛糸を二回巻きつけて、指からそっと外すと、小さな輪っかができる。パペットの頭頂部にくる、ふわっとして頼りない始まりの円ができる。

かぎ針は、三号か四号がちょうどよいみたいだ。これ以上太い針だと、パペットが大きくなって指に余るし、細いと編みにくくて、仕上がりもきつい。

まず一段目は、始まりの輪っかに、細編みで編み目を六回入れる。できたら、この輪っかを引き絞って、円をぎゅっと小さくする。最初の楽しい瞬間。

二段目は、細編み一つに対して二回ずつ細編みを入れていき、十二目に増やす。

この時、「イッチ、ニ、イッチ、ニ」と、無意識に六回言っているらしく、いつも理玖が口真似のようにリズムを取って笑ってくれる。

今日は、ピッコロの水色を手にして、編み始めた。

三段目からは、細編みの目一つに対して、一目ずつ編んでいくだけ。

あとはぐるぐる、ぐるぐる好きな丈までかぎ針を動かし編んでいき、時々、指にはめて丈を見る。

私の指はどちらかというと細長くて、第二関節の上くらいまでの丈が、ちょうどよいようだ。水色くんの下段には、ピンクを三段だけ編み足すことにした。

まだ顔もついていないただの指サックのような編みかけからは、糸が伸びて揺れているのが面白いらしく、理玖は腕を伸ばして、つかもうとする。

「痛い、痛い、水色くん、痛い」

理玖は、水色くんを生き物のように見る。まだ生まれてもいないパペットに、そうして理玖が命を宿してくれる。

指を揺らして見せると、もっと引っ張ろうとする。腕が丸くなり、力も強くなった。

「だーめ。理玖、水色くん、ほどけちゃうよ」

余計、むきになって引っ張っている。糸から理玖の指を離すと、体をのけぞらせて泣き始めた。

「もうすぐ生まれるんだけどな。そうしたら遊ぼうよ」

と、指に乗せた編みかけをもう一度動かすが、泣き止まないのでピッコロは一度置いて、理玖を抱きかかえて窓辺に立った。

朝からの雨が、午後にも降り続いていた。雨は次第に激しくなり、窓に音を立てて、打ち付けていた。窓に映っていたのは、泣いている赤ん坊と、どこか寂しげな女の顔だ。だが、私の肩に頭を乗せた理玖は、体に溜まった熱を解かすように、少しずつ鎮まっていく。

一階の角部屋だった時は、義母との約束をばか正直に守っていた。どんな天気の日でも、ベビーカーで公園に向かった。雨風の強い日は、公園に付随した児童館で凌いだ。自分たち母子のように、居場所を求めて、または友達と話をしに、案外来ている人は多かった。

前よりは広い二階のこの部屋をもらってからは、もう無理に外出はしない。私は楽になったけれど、理玖はどうなんだろう。二人きりで、その日の天候を感じ、晴れていても空ばかり見て時間を費やしていたのが、三ヶ月と少し。ちょうど、百日くらいの間だったはずだ。何を話せるわけでもなかったけれど、あの時間に二人の間に通ったのは、たった二人だけで必死に生きている充足と、だからこそできた信頼だったのではなかったか。自分だけを無条件で頼りにしてくれる理玖に、無力なはずの自分が全力で応えることだけが私の毎日の意味だった。

眠くてぐずっていたのか理玖がまどろみ始め、そっとベッドに寝かせる。

続きを編んだ。
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撮影/中村彰男 校正/岡村美知子

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谷村 志穂 作家

北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部卒業。出版社勤務を経て1990年に発表した『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーに。03年長編小説『海猫』で島清恋愛文学賞受賞。『余命』『いそぶえ』『大沼ワルツ』『半逆光』などの多くの作品がある。映像化された作品も多い。

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