お父さんやお母さんも子どもと一緒に夢や目標を持って
―――講演活動で全国を飛び回りながら、パラパワーリフティングの選手としてパリパラリンピック(2024年)を目指されている山本選手。子どもに夢を持ってほしい、何かにチャレンジしてほしいと願うママやパパにアドバイスがあればお願いします。
「お父さんやお母さんが“自分の夢を叶える”ことだと思います。言葉だけではなく、態度や行動で示す。親がいくら子どもに夢は叶うでって言っても、いやうそやん!みたいなことになるから(笑)、大人も夢を持つのがいいと思いますね。
夢に大きい小さいはないから、身近な目標でいいんです。親がそれに向かって頑張っている背中を見せると、その背中を子どもは追っていく。
あと、失敗してもそれを失敗と思わないことが大事で、つまづくことがあるんだっていうことも子どもに見てもらう。
でも親は恥ずかしいから隠したがるじゃないですか。でもそれを見せてくれたほうが人間らしいし、子どもが大きくなって自分の夢や目標を見つけたとき、つまづいたとき、『あのとき、お母さんはこうやって乗り越えていたな』って思ってもらえたらいいですよね。
私はそれを父親から学びました。父は母と違って障がいがある私のことをずっと心配して守りたいタイプの人で、でも母が“とにかく恵理を自立させる!”の人だったから、真逆でしたね(笑)。
父は会社員としてずっとビジネスをしていて自分の仕事が好きで、小さい頃からその姿を見て、仕事っておもしろいもんなんやなと思っていました。父親がずっと言っていたのは、『好きな仕事を見つけるのがいちばん幸せなこと』という言葉です。
パラパワーリフティングも好きだけど、日本財団パラスポーツサポートセンターの仕事も好き。私が担当している『
あすチャレ!』を含め、セミナーや講演の講師として年間約100回登壇しているのはそこに繋がっています。
―――山本選手を取り巻く社会は変わってきていると思いますか?
「徐々に変わってきていると思いますが、まだまだ変われるところはあると思います。私がまだ生きづらいと感じることがあるから(笑)。
でも、まだ社会が変わってないということを身をもって経験できるし、私自身がそのバロメーターでもある。何か理不尽なことが起きたとき、『私らの仕事まだなくならへんなー』って同僚ともよく話したりします。
子どもはもちろん、大人たちも生きづらい世の中。お父さんやお母さんたちの生きづらさも含めて変えていきたいですね」
2024年パリパラリンピックを目指してチャレンジ中!
「社会を変えることと同時に、アスリートとしての夢も叶えたいと思っています。
水泳ができなくなったことで一度は断念したパラオリンピックの道ですが、初めてパワーリフティングを体験したとき、『パワーリフティングをやる人生とやらない人生どっちがおもしろいだろう』と考えて、『もう一度、夢を追いかけよう』と決意しました。
東京パラリンピックの出場は叶わなかったけど、今は2024年のパリパラリンピックに向けてトレーニングをしています」
―――講演活動にトレーニングに、毎日忙しくてプライベートの時間がなさそうですね。
「私の時間はパワー(リフティング)をやっているか仕事をやっているかの2択です。ライフワークだと思っています。例えば、時間があって旅行に行って感じたことがあってもそれを仕事に活かそうと考えるし、プライベートは別という考え方はあまりないですね。
夏に手の手術をしてパワーができない時期があって、すごく悶々としました。パワーをしていないと体が整わなくて…。パワーの練習はハードですが、リラックスできる時間でもあるんです。
めちゃくちゃ疲れていても重いものを上げるだけで頭がスカッとします。持ち上げたとき、今日は自分のできることはやった!って示せるじゃないですか。そうしたら明日の仕事も自分のできることを頑張ろうって思えるんです。
だからみなさんも、パワーリフティングはやったほうがいいですよ(笑)」
前編を読む⇒⇒⇒
「障がい者だから無理?残酷な現実に傷くことも…でも後ろを振り返っても何もないから前を向くしか!」現役パラアスリート選手・山本恵理さんインタビュー〈前編〉〈PROFILE〉山本恵理
●1983年5月17日兵庫県神戸市出身。ニックネームは「マック」。先天性の二分脊椎症により、生まれつき足が不自由で車いす生活を送る。9歳から水泳に取り組み、パラ水泳の近畿大会や日本選手権などに出場。カナダ留学を経て2015年より日本財団パラスポーツサポートセンター(パラサポ)職員に。パラサポが実施するD&I教育・研修プログラム「あすチャレ!」全体のディレクターとして、またプログラムの企画・講師業務、講演会などを行いながら、国内外の試合に出場中。パラパワーリフティング55kg級の日本記録保持者。