最初から読む ▶▶▶~妊娠7ヶ月。私たちが結婚できないのは同性カップルだかららしい~幼稚園の頃の思い出といえば初恋です。意外に思うかもしれませんが、相手は女の子ではなく、幼馴染のイギリス人の男の子でした。
綺麗な男の子で、一緒に遊んでいるだけでドキドキした。金色の髪が陽射しに透けて輝いてるのを見ると、胸が熱く締めつけられました。彼の家族がイギリスに帰国してしまい、気持ちを打ち明けることも叶わず幼い初恋はあっけなく散りましたが、その男の子の記憶は深く残りました。
小学校に上がる頃の実父と母は、毎日喧嘩ばかりしていました。ある日、実父に手を上げられたことがきっかけで母は、まだ幼い兄と私を連れ、夜逃げ同然で家を出ました。
私たちは古い3DKのアパートに住み、母は仕事を3つもかけ持ちして私たちを食べさせてくれました。それまで専業主婦だった母は働きづめの生活になり、睡眠時間は1日3時間。にもかかわらずちゃんとご飯を作ってくれて、洗濯をして、私たち家族に不自由させなかったです。
胃に穴があくまで働いて、私たちを守ってくれた母を私は誇りに思っています。
母が朝から晩までいなくて寂しかったか、ですか?寂しいときは、もちろんあったけど、休日はハワイアンセンターに遊びにつれていってくれたり、祖母たちと外食もしたし、学校行事にも来てくれたから……私は幸せな子供だったと思います。
母が突然再婚したのは私が小学4年生の頃でした。義父になったのは母よりいくつか年下のナイジェリア人です。再婚しても、母は仕事を辞めませんでした。
ナイジェリアと日本との文化の違いからか、義父には家に生活費を入れるという感覚がありませんでした。もしかしたら外国人労働者だから、給料が少なかったもしれません。真相はわからないけど、生活が苦しいのは変わりありませんでした。
それでも母は義父にお金がないことを気にする様子もなく楽しそうに暮らしていたから、それでいいと思った。母を幸せにしてくれるなら、それが一番です。
小学校では、好きな人もできました。そのころ太っていた私はいじられキャラで、男の子からあまり優しくされることがなかったんです。
だから少し優しくされるとすぐ好きになる、ちょっと女の子扱いされると「ああ、この人は私に優しくしてくれるかしら」と思い込んでしまい、期待して……とても惚れっぽい子でした。
どこにいるのかな、私に優しくしてくれる人。そんな感じで、気が付いたらクラスの半分の男の子に告白してふられてましたっけ。