私は北陸の田舎で生まれました。父の実家に母と祖父母、兄2人、ゴールデンレトリバーが家族でした。
田舎ですから昔ながらの価値観が根強くあって家事は祖母と母が請け負う家でした。18時には食事を用意していないと祖父が少し不機嫌になるような、と言えばわかりやすいでしょうか。
でも、父は初めての女の子だった私にはとにかく甘かったです。手をあげられたこともないし、怒鳴られたこともありません。母はパワフルで優しくて、やりたいことはなんでもさせてくれました。
厳しい祖母との間に多少の嫁姑問題はありそうだったけど、「今日はごはんの時間に間にあわないねぇ、また怒られちゃうかな、アハハ!」と笑い飛ばしていました。母は明るくて、懐が深いんです。
そんなどこにでもあるような温かい家庭で育った私は小中高はスポーツ少女で、サッカーに夢中でした。
はじめての彼氏ができたのは、中学生の頃です。別にその子のことを好きではなかったけど、当時は彼氏がいるのが当然のステイタスとされていたので、せっかく告白されたし、まあいいか、みたいな感じです。
田舎ではちょっと周りと違うことをすると簡単にハブられたり、いじめられてしまう。それが嫌だったのと、女子の中でいいポジションをとるには、このステイタスの男の子と付き合っておけばいいだろうみたいな、適当な感じでした。その男の子が好きというよりも、そのポジションが好きというあっさりとした感覚です。
そしてその時期、ちょっと悪いグループの先輩とつるむようになりました。悪いとはいっても、田舎の中学生ですからたかがしれていて、深夜コンビニでたむろしたり、先輩の家でおしゃべりしたり、その程度なんですけど。
今思うと、私は空気を読んでまわりに流されやすい子ではありました。先輩の家で遊んでいたら帰るタイミングがわからなくなっちゃって……。夜中に帰宅すると、母が玄関に飛んできました。
「こんな遅くまで、どこに行ってたの!」
「別に……」
私が不貞腐れながら答えると、いきなり強烈な平手打ちが飛んできました。
「ちょっと!しっかりしなさい!」
そのときはうまく言葉に出来なかった。私自身悪いことをしてる気はなくて、その先輩と一緒にいただけです。いま思うと、悪い先輩の近くにいることで自分のポジションを確立していただけなんです。そもそも、居場所の選択肢が少なすぎたから……。
高校になっても私は変わりませんでした。悪い友達と一緒に遊ぶ子でした。中学時代より少し本格的な悪い子たちでした。「さすがに行き過ぎじゃないかなぁ」と思いながらも付き合いはやめられませんでした。
中学時代にお付き合いしていた人とは別れ、高校進学とともに新しい彼氏ができ、深く考えずにその彼と初めてセックスをしました。「男としたことがある」っていうのがクールだと思っていたから。それに学校のポジション的にも、していないと浮いてしまうから。
感想ですか?覚えてないです。当時付き合ってた人には悪いとは思うのですが、この頃からあまり男性との恋愛関係に興味がなかったんですよね。彼氏からのLINEを3日くらい未読無視とか平気でしてたし、嫉妬も全然しなかった。まわりの女の子たちの言ってる恋愛の悩みが、私にはありませんでした。
そんな高校生活も中盤、私は友人とともに、とうとう謹慎をくらってしまったんです。今度は母は、平手打ちは、しませんでした。でも、悲しそうにこう言ったんです。
「ゆう……信じてたのに、また裏切られた……」
平手打ちよりも、効き目がありました。謹慎をきっかけに、一切のしがらみをなくしたら、私はどういう人を選ぶんだろう、何ものにもとらわれなくなったら、そのとき私は誰と一緒にいるんだろうか……。そんなことを考えるようになりました。
不安定に揺れ動いていた高校時代、ある女子サッカーの先輩と出会いました。先輩は大学生で、とても大人に見えました。
優しくて頼りになるし、私をすごく可愛がってくれる人。友達とは全然違って、かっこよかった。なんともいえない包容力があって、全身から母性みたいなものを感じて、めまいがしました。まわりの景色が色褪せて見えるくらい、彼女は輝いていたんです。
当時なんとなく付き合いはじめた彼氏がいたけれど、なにか面白いことがあったり落ち込んだときに話したいのは彼氏じゃなくて先輩でした。先輩が他の後輩を可愛がっているのを見たときは、胸が張り裂けそうに苦しかった。
嫌だ!私以外の子に、そんなに優しくしないで!
思わずボールを蹴り飛ばしました。私は激しく嫉妬していたんです。その夜は大好きなごはんが喉を通らなかった。当時は、この感情がなんなのかわからなかったけど、とにかくイライラした。好きなのか憧れからの嫉妬なのか自分の気持ちがわかりません。結局、このことは誰にも相談できなかった。
高3の4月からはひたすらに猛勉強して、東京の大学を目指しました。実は、ずっと小さい頃からスポーツだけやっていたから、私は勉強がまったく出来なかったんです。中1のテキストからやり直しました。
数学はどう頑張っても難しくて大嫌いでした。でも、ストレスでハゲが出来ても私は勉強を続けました。毎日2、3時間の睡眠でどん底だった偏差値を合格ラインまで上げられたのは、サッカーで鍛えた精神と、母が優しく寄り添って支えてくれたおかげです。専攻は心理学部です。私はこう思っていました。
大学生になって、自分の世界を広げよう。東京に行ったら、いろんな人と出会えるから。
上京してからは友達付き合いも変わりました。ずっと私を縛っていた、しがらみが消え失せた。もう二度とこれまでのように親を不安にさせるような人間関係を築いてはいけないと心に決めていました。
女子大のキャンパスでは早々にグループができていて焦ったけど、きちんと真面目そうなグループの人たちを選んで思い切って話しかけたんです。
「あの……仲間に入ってもいいですか?」
彼女たちが笑って輪の中に招いてくれたときは嬉しかった。そして友達を選べることも、嬉しかったです。サークルに入ってほかの大学や社会人に友達や知り合いがたくさん増えました。人種のるつぼ、東京で、とにかくいろんな人との出会いに夢中でした。
友達の紹介で大学生の彼氏もできました。いい人だったけど、あまり長くは続かなかった。飲んで、踊って、騒いで笑って……。まるで東京は終わらない文化祭のように、楽しい刺激的な街でした。
私はファッションにのめり込んだり、ダイエットをして服の似合う体を作り上げたり、自分みがきに夢中になり、心理学関連の本もたくさん読みました。
バイトはコンビニやダーツバー、コンサート会場のスタッフなどいろいろやりました。そして19歳のときに今の不動産会社にインターンで入ることになるのですが、それはまた後にゆっくりお話しますね。
私が初めて女性と付き合うことになったのは、大学卒業間際、22歳の頃でした。
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