気象予報士・アナウンサーとして多忙な日々を送るなか、34歳で妊活をスタートさせた坐間妙子さん。仕事への情熱と「いつかは子どもを」という願いの間で揺れながらも、自ら納得できる道を切り拓いてきました。体外受精では、期待して移植しても「陰性」の判定が続いたことも。
なかなか結果が出ない焦りや不安を、どう乗り越えてきたのでしょうか。待望の長女を授かるまでの軌跡を伺いました。
関連記事→私は41歳、夫は10歳年下。「不妊治療の最短フルコース希望」で始めたものの…【宮崎宣子アナウンサーの40代妊活〈前編〉】
34歳で意識し始めた、私らしい妊活のかたち
「仕事と結婚、そして妊活」多くの女性が、どこでどう折り合いをつけるか悩むテーマではないでしょうか。
私が結婚したのは、33歳のとき。当初は別居婚という形を選び、一緒に暮らし始めた34歳から、妊活を意識するようになりました。「いつかは子どもを」という気持ちはありながらも、何よりも仕事が好きで、毎日が充実していた当時。振り返ると、どこかで決断を先送りにしてしまった部分もあったな、と思います。
それでも、結婚や妊活のあり方は、本当に人それぞれ。「もっと若ければ治療をしなくて済んだかも」と考えることがないわけではありませんが、仕事に邁進してきたことに後悔はないし、私にとってはベストなタイミングだったと納得しています。

結婚式は夫婦ともに大好きな東京ディズニーランドで。
夫とは、妊活を始めた時点で「授からなければすぐに病院に行こう」と話はしていました。まずは自己流のタイミング法に半年ほど取り組んだのち、近所の婦人科を受診。卵胞の成長を確認しながら病院指導のタイミング法に挑戦しましたが、妊娠にはいたりませんでした。
そこで、すぐに不妊治療専門クリニックへの転院を決意。2回の人工授精ののちに、体外受精へと進むことになります。

アメリカにて。結婚後最初の1年半はアメリカと金沢での別居婚でした。
身近なロールモデルがいたから、迷いなく選択できた
妊活のスタートは30代半ば。決して早くはありませんでしたが、治療のステップアップについては迷わず、スムーズに進めていけたほうだと思います。
その背景には、身近に不妊治療に取り組んでいる友人や先輩がいて、実際の体験談を聞いていたことが大きかったですね。もちろん、話を聞くのと自分が経験するのとでは大きなギャップがあり、戸惑うこともたくさんありました。
それでも、あらかじめ「不妊治療という選択肢」を知っていたことが、限られた時間を有効に使ううえでの大きな支えになったことは間違いありません。
私自身が不妊治療の経験を発信し、オープンに話したいと思うのも、かつて自分が先に歩く人たちの言葉に助けられたから。誰かの体験を知ることで選択肢が広がり、少しでも前に進みやすくなる人がいるのなら――そんな思いを込めて、自分の言葉を届けていきたいと考えています。
次のページ>> 前を向くために挑戦、決断したこと




