炭焼きの匂いが、店内にいよいよ充満していった。
円型の焼き網の上に、ロースターの煙突が象の長い鼻のように下りている。大抵の煙は、そこへと吸い込まれていく。自分も、一緒に吸い込まれてしまいたくなる。隆也と一緒なら、それもいい。昔TVで観た、ハクション大魔王みたいだ。煙突の中でなら、せめて距離は縮むだろうか。
ようやく会えたはずの夫、日に焼けて無精髭だらけになっているが、変わらぬ背格好の男、二人の距離はいっこうに埋まらなかった。
「 余計に、遠く感じてるかも、しれない」
心が繋がっている者同士なら、こうして焼き網を挟んでいるだけで、気持ちまで華やぐのだろう。
「困ってるよね、急に来られて」
「いや、そんなこと言える立場じゃないから」
他人事のようにそう言うのが、憎らしかった。
ここに向かう道すがらだって、ずっと感じていた。こんな気持ちで来たくはなかった。どこまでも、なだらかな緑が見渡せて、健全な草地が広がっていた。そこここを、たてがみをなびかせた馬たちが駆けていた。草は風を浴びて、オーケストラの演奏家たちのように一斉に向きを変えてたなびいた。眩しい生命力の中にいて、たった今、自分のように気持ちの沈んだ人間が、果たして、他にもいるのだろうかと感じながら、運転していた。
ところどころに区画のように並ぶ背の高い木立は、おそらく防風林と呼ばれるものだ。昔どこかの駅で観光ポスターを指さして、隆也が教えてくれたのを思い出したのも、久しぶりだった。
「防風林ってさ、俺、すごい調和の美だと思ってて。何より、何十年も前に、誰かが、こうなると信じて植えたものなんだよな。それがすごいよ。自分たちの植えた苗木が、いつかは大きく育って、風除けになってくれると信じて植えていくわけでしょ。人間が考えたものの中で、相当いいもんじゃないかな。人間の期待に見事に応えて、強い風なら自分が大きく揺れて、風止めをしてくれる。だからなのかな、防風林って、どこの写真を見ても、誇らしげで堂々と美しいんだよね」
いつになく、雄弁だった。
「ゴッホの絵だったかで、見た気がする。強風に煽られている防風林。ゴッホも、感動したのかもね」
「だったりしてね。美夏、ゴッホを推理する。うん、そうかも。海辺の道だとね、海風を防ぐための、線路沿いの防風林っていうのもあるんだよ。いつか、見に行きたいね」
「どれを?」
隆也は、屈託なく驚いて私を見返した。
「全部行こうよ。しばらく俺らの旅の目的は、防風林を見に行くこと。そういう場所ならきっと、もれなく馬や牛も現れるんじゃないか?」
「野生の馬が現れるとか? それは夢みたいだね」
あんなに、未来への会話が続いた時期もあったのが嘘のように、思えば少しずつ二人の間の言葉は、未来への矢印を失っていたのかもしれない。未来、への希望を象徴するはずの子どもを持ったと言うのに。
揺らぐ煙の向こうで、隆也は本当に肉を食べ始めた。
ごつごつした手が器用に箸を動かし、口に運ぶ。そうだ、彼の食べ方は、いかにも上品だった。どうしてそう感じるのかはわからない。口元への運び方、唇を閉じたまま食む姿、静かな食の進め方。はじめて大学の学食で向かい合った時に、感じたことだ。
「理玖のこと、訊かないの?」
「訊く資格が、ないのかなと思って」
箸をテーブルに置いた。
「元気だよ。すっごく元気。可愛く育ってるよ」
「だったら、安心した」
また、会話が止まってしまい、距離が広がる。二人を挟む、焼き網ばかりが大きく見えてくる。
「帰ってくるのを、ずっと待っていたんだよね。生きてるって信じてたし」
「結局」
「何? 離婚届なら出してない」
「いや、そうかと思って」
待たせてしまったのをせめて悔いているのか、彼は言葉尻を呑み込んだ。
「だから、私たちは、まだ夫婦のままなの」
隆也の視線は、彷徨ったままだ。
「どうしてだったのかとか、今日まで何をしていたのかとか、もしもこれまでのことを訊かれたくないなら、訊かない。時間は埋まらないでしょ。無理に埋めようとは思わない。それでいいよ。ただ、まるで少し長い旅をしていたみたいに、当たり前のように戻ってくれたら、それでいい」
目を合わせようとしてくれない。こんな話し方では、だめなのだろう。ただ、話し方がわからない。




